ヨーロッパを駆け回る仕事を終えた次元は、いつものようにの部屋で一息つく。
も仕事で世界中を旅する事が多い。出先が合えばそこで逢瀬を、次元のオフとがマンハッタンにいる時が合えば彼女のマンションで。
二人が出会ってからの習慣だった。

次元はジャケットを脱ぎネクタイをゆるめ、ブッカーズのロックを口にした。隣ではバスローブでペリエを飲む

ほっとするような、いつもの過ごし方だ。
の瀟洒なマンションは飾り気はないがすっきりと落ち着く。

「…お前ぇの部屋はいつもホテルのようにすっきりしてんな。家政婦でも入れてるのか?」

はペリエを飲み干し、不思議そうに言う。

「いいえ、ちゃんと自分で掃除してるし、洗濯もしてるわ」

次元は少し意外そうにを見る。

「ふうん。なんか、お前ぇがそうやって家事なんかやってる姿は想像つかねえな」

くっくっと可笑しそうに笑った。

「まあ」

は立ち上がって冷蔵庫からもう一本ペリエを取り出した。

「そりゃ、商売柄、所帯じみてるように見られるよりは良いけど。
やあね、あなたは私の良いとこ取りしてるのよ。いつあなたが来るかわからないから、いつも部屋はきれいにしてるし、来たなら家の事なんかするより、あなたを見ていたいから。
それとも訪ねてきたらすぐにいそいそと和食をつくるような女が好き?だったらそうしても良いのよ」

は涼しい顔をしてさらりと言う。次元は帽子をちょいと上げてそんな彼女を見る。

美しい歌姫。美も名誉も何もかも持っている女。プライドが高く、そしてそのプライドに見合う強さ。
彼女の積み重ねている努力、そしてその自信から来る輝き、そんなところが次元はとても好きだ。
そんな彼女が、次元のちょっとした一言でひっかかって、涼しい顔をしながら意地をはっているところが、可笑しくて仕方がない。おもわずまたくっくっと笑ってしまう。

「…何がおかしいの?和食なんか作れないと思っているの?ちゃんと父に教わってなんでも作れるのよ?」

涼しい顔もくずさずに言うに次元はそっと口づける。

「……」

はちょっと驚いたように目を丸くする。

「お前ぇが何でもできるのは知ってるさ。かいがいしい女も悪くねえが、ま、そのうちにな」

は自分の態度にふと我に帰ったのか、少し恥ずかしそうに次元をみて拗ねたようにまたペリエを飲んだ。そんな彼女を次元は愛しげに見る。
きりりとした彼女をいつも次元は対等に見るが、まだ年若い娘なのだ。自分といる時は、たまにはこんな普通の女のようになっても良いだろう。
そして彼女といると、時に自分がまったく普通の男のようになってしまう事にも、最近気付いた。

は普通の女のように、男に何かをねだる事はない。勿論、彼女は何でも持っているし手に入らぬものもないだろう。しかし、時に次元は彼女にどうしても何かを贈りたくなる事がある。

本当はわかっている。彼女には、自分が無事でこうやって一緒にすごせることが何よりの喜びなのだと。ただ、彼自身がそれで満足できるほどに老成していない部分があるのだ。
今までつきあった女には、たいがい獲物の一部の宝石なんかを贈ればそれで笑顔が見れた。彼の自己満足にはそれで十分だった。
しかしには盗品の宝石などはふさわくはないし、そもそもいまさら貴金属などで喜ばせる事ができるとも思えない。女への贈り物などでいちいち悩んだ事のない次元は、まったくノーアイディアだった。

「…なあ、

次元は拗ねたような彼女をそっと抱き寄せささやく。

「なあに?やっぱり何か作ってほしい?」
「バカ、違う。…たまにはな、俺も…お前ぇに何か贈り物をしてえんだが…何がいいんだか思いつかねえ」
「ええ…?」

はまた驚いたような顔で次元を見る。

「バカ野郎、そんなびっくりした顔すんなよ。男が女にプレゼントをしてえと思う事くらい普通…あるだろうが」
「私にプレゼントを?」

の戸惑ったような態度に、次元は言いだした事を後悔してしまう。こんな照れくさい思いをするんだったら口にするんじゃなかった。

「そうだ、お前ぇは何が欲しいかと聞いてるんだよ」

必要以上に荒っぽい口調になってしまう。優しく抱き寄せておきながら、妙な構図だと自分でも無様に感じる。
 はそんな事はおかまいなしに、次元をじっとみて考えている。

「・・・・・・・プラチナの指輪が欲しいわ」
「はあっ?」

次元は思わず声を上げてしまう。なんだってそんなものを、と思わず口にしかけてしまった。
次元の驚いた表情にも少し恥ずかしそうにうつむいた。

「…別に深い意味はないのよ。ただ…シンプルなプラチナのグだったら…衣装の時にもつけていられるし」
「…そうか、わかった。いいやつを、用意しておくさ」
「ばかね!」

次元の腕の中ではぴしゃりと言う。

「指輪の贈り物は、一緒に買いに行くところも含めてよ。そういうの、嫌なの?それとも指輪を一緒に選ぶほどには、私を愛していないの?」
「ばっ、バカ野郎!」
今度は次元が言う番だった。
「ただ、お前ぇが…」

俺なんかとジュエリーショップで指輪を選ぶなんてぇ目立つ事をして…と言いかけてやめた。彼女がそういう言葉を嫌うのはわかっていたからだ。

「わかった。明日、買いに行こうぜ。何でも好きなものを買ってやる」
「本当?嬉しいわ」

は次元の髭に触れてキスをした。本当に嬉しそうに顔を赤らめている。こういうところが本当に愛らしい。意外な返答であったが、言い出してよかったと思った。


翌日、カーテンの隙間からの明るい日差しで目覚める。天気が良いようだ。
隣にいるに目をやった。思わず自分の顔がほころぶのがわかる。太陽の光に照らされたの姿は本当に美しい。
透けるような白い肌はまぶしいくらいに輝くし、金茶色の髪は光を反射するようだ。
その流れるような美しい髪をかきわけてそっと口づけ、彼女の体を抱きしめた。暖かく柔らかいその裸身が次元を熱くする。唇を離すと、艶っぽい声とともにゆっくりが目を開ける。

「おはようさん、歌姫」

次元はその頬をなでると、首筋にキスをした。めざめてから朝の光の中で輝かしい彼女との情事はとても好きだったし、それも二人の習慣の一つだった。

「んん…次元、だめよ…」
くちづけながら体を愛撫してくる次元の手をそっとどけた。
「どうしてだ…?」
次元は意外そうにを見た。
「だって、今日は出かけるでしょう?」
はサイドテーブルから薄手のガウンを取って肩にかける。
「なんだ、しかしもうその気になっちまったんだがな」
次元は笑って名残惜しそうにの髪に触れたままだ。
「ばかね。まだ一緒にいられるんでしょう?太陽は待ってくれないのよ」

いつものように髭を愛おしそうになでて口づけ、立ち上がっていった。
次元はため息をついて、決まり悪そうに再度布団にもぐりこむ。

はベッドに戻ってくる気配もなく、次元もついにあきらめてシャツを身に着けて起き出すと、リビングには朝食の用意ができていた。心のなかでつい笑い出したくなってしまう。
やはりは昨日の事を気にしていたのだろう。別に次元はに飯を作れとも言っていないし、そんな事はどうでも良いと思っている。が、起きて暖かい朝食があるというのも良いもんだな、とやけに心があたたかくなった。
朝飯なんかよりお前を抱く方が良いのに、という言葉はさすがに胸にしまいながら椅子に座った。

「コーヒー、どっちにする?ドリップ?エスプレッソ?」
「ああ…エスプレッソにするかな」

すでに着替えているは、パボーニのマシンでエスプレッソの準備をする。
オートマチックにすればいいのに、その古風なレバー式のマシンは手順が多い。真剣な顔でバスケットに細かく挽いた豆をつめて、圧を確認している。
自分がリボルバー式の銃を使ってるみたいなものか、とそんな彼女の後姿をほほえましく眺めた。
一人暮らしの彼女だ。お姫様然としていてもたしかに、家事は慣れているのだろう。改めてがこういう事をするのをまじまじと見るのは初めてだった。
勿論が何もできないと思っていたわけではないが、普段の優雅な様からはあまりイメージがつかなかったし確かに自分といるときははじっと傍にいる事が多い。
の普段の生活の一部をかいま見たような気がして新鮮だったし、自分がまだまだ彼女の事を知らないのだという事が、少し恥ずかしく思えた。
「どうしたの?マフィン、熱いうちに食べていて良いのよ?」
パボーニのレバーを押しながらが言う。
「あ、ああ」
言われて次元は目の前のマフィンにかじりついた。ベーコンと卵、チーズのはさまった熱々のマフィンはたまらなく旨かった。

「ふふ、明るいうちから出かけるのは久しぶりね」
 ドッピオのカップを差し出しては嬉しそうに言う。
「ああ、そうだな。」

をまぶしい思いで次元はみつめる。といると自分がお尋ね者の犯罪者だという事をつい忘れそうになる。が、それは紛れもない事実だし、彼女がマンハッタンだけでなく世界中で名の通った声楽家だというのも事実だ。
そんな事実が、ついつい次元を彼女と太陽の下を歩く事を戸惑わせる。しかしそんな気遣いが、を悲しませていたのかもしれないと、今の彼女の表情を見てふと思った。

朝食を終えて、二人はのエリーゼで出かけた。エレガントな名前に似合わぬじゃじゃ馬なロータスのオープンカーは彼女にぴったりだった。

「で、どこの店に行くんだ?」
「5番街の店よ」
「お任せするさ」

次元は助手席で帽子を押さえる。
正直なところ、女とジュエリーショップでプレゼントを選ぶなんざ柄じゃないし、きまりが悪い。大体が、泥棒がわざわざジュエリーショップで買い物をするなんてお笑いぐさだ。が、それでが喜ぶのならいたしかたない。
五番街の真ん中にある、シンプルだが趣味の良い建物の駐車場には車を停めた。

「ここか?ティファニーにでも行くのかと思ったぜ」
「趣味の良いセレクトショップよ」

次元はつい習慣でセキュリティをチェックする。なるほど、が選ぶだけあってかなりセキュリティも厳しいハイソな店のようだった。
下調べや仕事以外でまっとうな客としてこんな店に入るのは初めてかもしれない。ふうっと息をつく。覚悟を決めた。

「じゃあ行くか。お姫様よ」

にっと笑って腕を差し出した。はふふっとわらって白い手をからめる。帰りにはこの指に自分が贈った指輪が輝くのかと思うと悪い気はしなかった。
の腕をとって店に向かうとうやうやしく店員がドアを開ける。
次元とてこういう雰囲気に不慣れなわけではないが、こう歓迎される立場というのは調子が狂う。

「ミス・リパートンはいるかしら?」
は次元に寄り添ったまま、店員の男性に言う。
「はい、少々お待ち下さい」
こじんまりとしてはいるがかなりな高級店であることは間違いない。奧のソファに二人は通された。

「お前の馴染みの店か?」
「まあね。」

間もなく奧から女性があらわれた。50代くらいのやわらかな雰囲気の美人だった。

「あらあら、、久しぶりね?」
「こんにちは、ミス・リパートン。」

も嬉しそうに返した。
リパートンと呼ばれる女性はにこやかに次元を見る。

「いらっしゃいませ。今日は何をお探し?」
次元はその屈託のない態度に少しめんくらう。
「あ、ああ…こいつに、プラチナの指輪を贈りたいんだが…」
「まあ、指輪を。素敵なこと。少々お待ちになってね」

リパートンは顔を輝かせてショーケースに歩いていった。
「・・・・・・高そうな店のわりに、おっとりした店員だな?」
「あら、リパートンは業界でも有名な目利きのバイヤーなのよ。きっと、あなたも品定めされてるわ」
はいたずらっぽく笑う。
「けっ」

次元はきまりわるそうにソファにふんぞり返る。
リパートンは柔らかな布を敷いたトレイにいくつかの指輪をのせ、二人の前に出した。

、あなたが好みそうでお似合いなのはこの辺だと思うけど、どうかしら」
差し出されたそれを、は嬉しそうに手にとった。
「きれいね、どれも素敵」

次元には正直、シンプルなプラチナの指輪の善し悪しなどよくわからない。
が、そんなものを嬉しそうに次元の目の前で迷いながら選んでいるの様子が愛らしく感じた。たまにはこういうのも悪くない。
彼がそんな彼女を黙って見ていると、は一つの指輪を差し出した。

「このデザインが良いわ」
カルティエのシンプルなものだった。内側に一粒だけ小さなダイヤが埋め込まれている。
貴金属類なんていつも飽きるほどごっそり盗んでいる。次元がその気になれば、国宝級のダイヤだってに贈る事ができるだろう。そして彼女の好みにカットして磨き抜かれたプラチナの台に埋め込むよう細工だって注文できる。
しかしこうやって、二人の休日に出かけて店で選ぶ指輪。それが、その辺のOLにだって買えるようなものであったとしても、何にも代え難いものに感じた。不思議な女だ。
次元は何も言わなかったが、はそれ以上次元に意見は求めなかった。

「サイズはどうしましょう?どの指にするのかしら」
リパートンが柔らかな声で尋ねる。
「あ、ああそうね…」

ふとは困ったようにうつむく。次元は体をおこしてを見た。思わず彼女の手を取って、何か言おうとするが言葉が出ない。
鈴の鳴るような声でリパートンが笑う。

「男性が愛おしい女性に指輪を贈るなら、決まってるでしょう」

の選んだ指輪を手にとって、すっとの左手の薬指に通した。

「指の持つ意味は諸説あるけれど、愛の絆を深める意味を持つのはこの指だけなのよ」

は顔をあからめて次元とリパートンを交互に見て、そして指におさまった指輪を見た。それはもう何年も前からそこにあるようにしっくりと輝いていた。

「…次元、これに、するわ。良い?」
「…ちょいと待ってくれ」

次元はの手をとり、指輪を外した。
はおどろいて次元を見る。

「これに、字は彫ってもらえるか?」
「ええ、もちろんよ」
リパートンは顔を輝かせて立ち上がる。
「サンプルを見せるわ。こちらへどうぞ」

次元を奧に促した。次元はリパートンに提示された字体のサンプルを見る。
「この紙に彫って欲しいメッセージを書いてくださいませ。そして書体を選んで」
さっとメモする次元をリパートンはじっと見ていた。

「・・・・・何だ?俺の顔に何かついてるか?」

「あら、ごめんなさい。…はようやく素敵な恋人をみつけたのね、と嬉しくなってしまって。」

彼女は本当に嬉しそうに微笑んだ。

「俺がか!?」

次元は意外そうに声を上げてしまう。

「だって、が指輪を贈らせる人でしょう?」

「…ああ。しかし、男が女に指輪を贈るなんざよくあるだろうが」

「そうですけれどね。今までに指輪を贈りたがる男性は幾度となく見たけれど、は一度も受け取った事がなかったのよ。綺麗な指をしているのにどうして、と尋ねたら、こう答えたわ。自分はロマンチストじゃないけれど、指輪だけは本当の運命の恋人からしかもらいたくないの、って」

次元はボールペンをつい床に落としてしまった。
「私ったらいやだ、普段はこんな余計な事は言わないのだけど、は昔馴染みで、可愛くて仕方がないのよ。ごめんなさいね」
リパートンは恥ずかしそうに笑った。

次元はメッセージのメモを渡しての元へ戻る。は出された紅茶をすすっていた。
「…なんて書いてくれたの?」
「バカ。お楽しみに決まってるだろうが」
次元は笑う。
「そりゃ、そうよね。ふふ、楽しみ」
「たいした事じゃねえよ」
「指輪にメッセージなんてロマンチックじゃない。実は憧れていたのよ」

屈託なく笑う。は気位が高く気丈だが、本当は弱いところのある女だ。次元はそれがよくわかっていた。胸のしめつけられる思いがした。
どうしてリパートンが言う前に、の薬指に指輪をしてやることができなかったのだろう。
女をつかまえておく事に対する、彼の妙な臆病さ。
彼女を傷つける、自分のそんな部分が恨めしかった。

、できたわ」
奧からリパートンが指輪を持ってきた。トレイを次元に差し出す。
「どうかしら?」
次元は裏のメッセージを確認した。
「良い出来だ」

「…stand by…?」

はそれを見てゆっくり口にする。次元は照れくさそうに、の指に指輪をおさめた。
そばに、いてくれ。
そばに、いたい。
そばに、いる。
そんな思いのメッセージだった。普通の恋人同士のように、いつも一緒にいられるわけじゃない。でも、一緒に過ごすときは家事をする間すら離れていたくないの思い、時間がゆるせば一刻も早くの部屋に顔を出したい彼の思い。

「・・・・・ありがとう、次元。すごく・・・すごく嬉しいわ」

は自分の指の指輪をじっと見つめて、胸にぎゅっと抱いた。

「サンキュー、ミス・リパートン。良い買い物をした」

次元は笑ってリパートンを見る。彼女も幸せそうにを見てから、次元を見ると本当に嬉しそうに笑った。
「あなたみたいな素敵な恋人がいて、がうらやましいわ。」


二人は店を出て、駐車場に向かう。はキーを次元に渡した。
「運転してもらえる?」
「…かまわねえが、珍しいな」
は普段自分の車を人に任せることはほとんどない。出先で次元が飲む事が多いというのもあるのだが。

「だって…泣いてしまいそうなんだもの」

見ると、本当に今にも泣き出しそうに潤んだ瞳をしていた。
次元はドアを開けて運転席に乗り込んだ。

「泣くこたあねえだろうが。別にプレゼントはこれっきりって訳じゃねえ」
「でも…なんだか嬉しいから」

は恥ずかしそうに笑って涙をこぼした。
助手席に座るの髪をなでて、指輪をしている指に口づけた。

「バカな女だな。俺にこんなものを贈らせやがって。・・・・・・これでお前ぇはすっかり、俺のもんになっちまったんだぜ?」
「バカはそっちよ。指輪をもらわなくたって、初めて会った時から私はあなたのものだったでしょう」

におかまいなしに、次元は何度も指輪にくちづけた。
まるで自分の命を吹き込むように。自分が傍にいないときに何があっても、を守ってやって欲しいと思った。戸惑ったように見るの顔を見上げて、もう一度髪をなでた。

「…お前を愛している。」

小さな頭を抱きしめて、唇を重ねた。の涙の味がした。
長い口づけを終えて顔を離すと、は涙を浮かべながら恥ずかしそうにうつむいていた。普段自信たっぷりの彼女なのに、ふとした時の気弱そうなそんな表情はたまらなく愛しい。

「…次元、お願いがあるの」
「なんだ?」

「…もしも、何らかの理由で、今までのように会えなくなってしまいそうになったら…その時は必ず…私を連れて行ってね」

「んん?どういうこった?」
「だから!」
はじれったそうに次元を見上げる。

「だから…例えばあなたが警察とかに捕まりそうになって、もうずっと身を隠さなければならないとか、どこか遠くへずっと逃げていなければならないとか…そんな事よ」

「俺がそんなヘマをするわけねぇだろうが」
「もしも、例えばって言ってるでしょ」

「…歌姫が全てを捨ててお尋ね者の俺とずっと逃げるってえのか?」

「そうよ」
「…どうしてもってぇなら構わなねえが、あんまりお勧めしねえなあ」
「もう、次元ってば!…お願い、約束して」

「…わかった、約束する。何かあったら、必ずお前ぇを連れて行く」

はほっとしたようにまた指輪をした指を胸に抱いた。

「ありがとう…。ごめんなさい、私…結構子供なの。そうやって約束してくれたら、普段離れていても、安心するわ」

次元の胸にそっと額をくっつけた。
そうか。
彼女の弱さをわかっていたつもりなのに、いつも彼女につきまとう不安すらわかっていなかったのか。
いつ、会えなくなるかもわからない不安。普通の女の不安。
こんな少女のような約束をさせるほどに。
不思議だ。太陽の光の下だと、こうもについてわかっていたつもりの事で自分がわかっていなかったことが、次々と現れる。
ぎゅっとを抱きしめた。

「俺は約束は守る男だ。連れてくってったら連れて行く。言っておくが、行き先が地獄とわかっていてもだぜ」

はくっくっと笑う。

「その言葉を待っていたのよ」

いつものように髭にくちづけた。
次元は車を出した。風が心地よい。

「…ホント、お前ぇも子供だな」
「あら、何?」
「指輪を贈ったくれぇで、この騒ぎだ。泣いたりしてよ」
次元はわざとからかうように言う。
「まあ、あなただって、ちょっと緊張してたでしょ。大の男が指輪を選ぶくらいで」
「なっ、俺は別に!女にアクセサリーを贈るくらいなんでもねえよ。慣れたもんだ」
「そうなの?そうは見えなかったわ」
「・・・・・・・ま、いつもは盗品だからな。宝石屋で自腹切るなんざ、多分初めてだ」

は可笑しそうに笑う。
次元は何も言わず車を走らせた。
こうやって軽口をたたくけれど、多分彼はこの日の事を忘れないだろう。

女に指輪を贈った日。
女と夢のような約束をした日。

自分がそんな事に意味を感じる日が来るとは思わなかった。
ふとを見た。もう涙の後もなくいつもの顔で、じっと次元を見ていた。
「どうしたの、ちゃんと前、見て」
「・・・・・わかってるさ」
太陽の下で前をみて進む事。当たり前の事なのに自分にはできていなかった事かもしれない。
Stand by.
一人の女が傍にいるだけで世界ってのは変わるもんだ。